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自作解説:Fugue - hommage to Maurice Ravel
この曲は自分の中ではわりと特殊な位置付けの曲になっています。 この作品を作曲するまでに「言葉としての詩を音楽で表現する」といったことをやってきましたが、さまざまな音を同時に鳴らして輪郭をぼかして音を拡張していました。言い換えると、ソロ楽器のための楽曲ではこういった表現ができないという、弱点のようなものがありました。結果としてこの時期の私の楽曲は、ソロ作品がほぼありませんでした。 そんななかで、ピアノソロでそういった詩的な表現をしようとしたのがこちらの作品になります。 点描的に音を配置して、詩的な音楽の表現につなげようとしています。絵画的もしくは美術的な作品を2025年以降作っていますが、その片鱗がここにあります。なぜ美術的な要素を入れるか、というのは凄まじく長くなるのでまた別のところで。 この作品はラヴェルのフーガを分析した際に、その構造の幾何学的な美しさに感動して、その構造をそのまま利用しています。ただし、声部数が6声になり、複雑化させています。ある意味では自作品のなかで和声や対位法の知識を一番使った作品だといえます。 それではこの作品のプログ
Sumio Kobayashi
5月24日読了時間: 2分
自作解説「雪のなかのヒバリ」
これまでの作品で「ミュージックコンクレート」を器楽作品にする、という試みを行っていて、その失敗を経て考えた語法に基づいているのがこの作品になります。 当時ちょうど30歳。自分の作風が出来上がってくる、個性が生まれてくるのは30歳くらい、と言われることが不思議と多いですが、まさにその通りということになります。 言語学を学びながらその知識や経験を芸術に活かすことで、他の誰かに作ることが出来ない作品を作ろうと色々考えていました。 言語学の前はフランス文学を専門にしていて、特にマラルメやフランス詩を勉強していたのと、自分でも詩を書いていたことから、「言葉としての詩を音楽で表現する」という作風に徐々に向かっていきました。 ただ、言葉と音楽は似ている面もあれば、全く異なる面もあり、例えばクロード・レヴィ=ストロースは音楽を「翻訳不可能でありつつも理解可能である」と記述していて、いかに音楽が言葉と異なり、特異であるかよくわかります。 哲学や言語学、もしくは何か学術的な用語や理論を芸術作品に応用することはよくありますし、そういった応用によってある程度は作品の価値
Sumio Kobayashi
5月9日読了時間: 4分
『押井守に学ぶアニメ・映画』オンデマンド動画講座 Narō.tvは現在?
以前見ていたのですが、こちらが現在、恐らく見れなくなっています。会社そのものがもう存在しない?ようです。きちんと調べたわけではないのですが恐らく。 非常に残念ですが、一応備忘録的に概要を、うろ覚えですが書いておきます。 押井守さんの本はほぼほぼ全部購入して読んでいますし、ラジオやインタビューもできる限りチェックしていたので、そのうえで、こちらの動画講座を見て、本当に価値があるものだったなあと強く感じました。 押井さんの師匠の鳥海永行さんから「後継者を育てろ」といったことを言われていた、というのは色々なところで押井さん本人が語っていますが、押井さんのやり方はどちらかというと本などを通して色々な人に自分の考えを伝える、といった手法でした。 直接的に教育的なことはやっていないと言える押井さんでしたが(押井塾なんかもありますが)、こちらのオンデマンド講座はまさに教育的な内容でした。 驚いたのが、押井さんはアメリカの映画教育や芸術教育にしばしば見られる、なんでもスタイルや定型を作って、そこから論理的に作品を組み立てていくというやり方は嫌いなのではないかと思
Sumio Kobayashi
5月8日読了時間: 2分
デイヴィッド・リンチの言葉
大体制作のためになる誰かの言葉というのは、哲学思想系の何かか文芸批評、そして映画監督の言葉だった。特にデイヴィッド・リンチや押井守さん、小島秀夫さんの言葉が参考になった。 そんなこんなでリンチの講義の言葉をまとめて、自分の勉強用のファイルを作ってみました。まだ未完成なものの、いつまでたっても完成しないので、仮のものをとりあえず記載、自分で読むために。著作権的なことも配慮して要約的な内容にしています: リンチはまず、『アート・ライフ』とは何かというところから話し始める。彼にとってそれは、ただ芸術作品を作るという意味ではない。生き方そのものが、仕事をすること、作ること、形にすることのまわりに組み立てられている状態を指している。映画でも、絵画でも、版画でも、音楽でもよい。どの媒体であっても、その世界は無限に深く、本当に入っていけば、さらに深く潜っていける。彼は、金のために作られる映画や、娯楽としてだけ組み立てられる映画の存在を認めつつも、自分を動かすものはそれではないと言う。彼を支えているのは、作るという行為そのものへの愛着であり、その過程に身を置いて
Sumio Kobayashi
4月30日読了時間: 16分


自作解説 「アメジストの樹の上から」
この作品は前作の「うねる青、駆ける緑」 と同様のコンセプトで書かれている。 どういったところに違いがあるかというと、素材とした鳥の囀りの違いが主。とはいえソナタ一番、二番、くらいの類似性で、聞こえ方は全く別です。 この作品は楽譜が残っているものの、前作のうねる青、駆ける緑は楽譜が残っておらず、プログラムノートだけ残っていた。逆にこちらの作品はプログラムノートが無いです。 この作品を最後に「ミュージックコンクレート作品」の室内楽化はやめることになりました。 倍音も含めてミュージックコンクレート作品を器楽曲にしていたものの、どうしても奏者が合奏するために簡略化する必要もあり、現実とはかけ離れた姿でした。現実に近い必要も無いわけではあっても、どうしても中途半端なものに自分でも感じてしまったものでした。 労力もすさまじく、音をソノグラムなどで解析しつつその倍音や音長を手作業で音符にしていく作業がとにかく大変。あまりにも時間と労力がかかって、本当に死にかけることもあり、このスタイルをやめました。これに特殊奏法まで大量に使用していたので、記譜の時間も膨大に費
Sumio Kobayashi
4月29日読了時間: 2分
自作解説「うねる青、駆ける緑」
自作品で、おそらくこの作品が芸術音楽の作曲家としての最初の作品。 2009年に作曲、当時27歳だったはず?当時は言語学を大学院で学んでいて、言語学と作曲の両立に限界を感じていた時期。日本音楽コンクールのファイナリストになれなかったら、作曲を辞めようと決めての作曲でした。不眠不休で3ヶ月で書いた作品、睡眠も気絶なのか寝ているのかよくわからなかったものです。 ---以下プログラムノート--- この曲では自然界の音楽的な響きが楽曲として描写されている。このようにアナログな題材を楽譜や音楽といったデジタルなものにするために理論的な枠組みを用いた。文法的なファクターとして、音楽をまとめる単位やつながりを組み立てるために、まず音楽をゲシュタルト心理学的に考え直した。そして、楽式構造、縦の響き、旋律、これらのつながりを聴衆が認知できるように、まとまった単位として構成し、なるべく多くの調和を生み出そうとしている。こういった論理に基づき、多くの文化で音楽として認識されている、鳥の囀りやクジラの歌声を素材として用いている。特に両者の共通項が重要視されており、その共通
Sumio Kobayashi
4月29日読了時間: 3分
サイレントヒルfがすごく良かった ネタバレ無し
身近な人から、ぜひプレイしてほしい、という静かなお願いを感じていてついにプレイ。 休みという休みが一年のうちでも1日あるかないかのこの状況でやるのかやらないのかかなり悩みましたが、色々無理して断行してしまいました。 これがもう大正解で、とても良い刺激になりました。 社会人が1日でクリアできるゲームというのが今後一つの指標の一つになるかも知れないですね、こういうジャンルのゲーム。まるまる1日休むことはやっぱりできず、2日にわけましたが何とかクリア。1日10分を小分けにやると、記憶や感動が薄れるのでそういうやり方はせず。 複雑なストーリーながら、ちゃんと「これはこういうことの隠喩なんだろうな」ということがわかる点が見事でした。女性の立場であれば「嫁ぐ」というのがどういったことなのか、などなど。暗喩を使う難しさは、それをきちんと意図通りに感じてもらえるかどうか、といった点だと思いますがその点のバランスが素晴らしかったです。これはこれの象徴で、こういうことなんだろう、というのがだいぶわかって非常にすっきりとしたものでした。 解釈を人に委ねずに、骨格がきち
Sumio Kobayashi
3月29日読了時間: 3分
ものづくりする人に良さそうな漫画
東京ヒゴロ 松本大洋さんの作品は本当に全部素晴らしくて、その中でも特にこれ。大事な制作の締切前に読みたい作品。Sunnyはどうしてああいった書き方をしたのか本当によくわかる。そういう意味でスタート地点は自分と似たようなものだったんだなあと思いつつ東京ヒゴロを読むので余計に。 シドニアの騎士 漫画って本当に芸術なんだなあと思わせてくれる作品。人間というのが結局こういうのが好きなんだと、良い意味で、教えてくれた。 ベルセルク やっぱりこうなのか、という、シドニアの騎士と同じ系統の感動。ただ、やっぱり亡くなってしまったのが、本当に残念。映画監督の今さんといい。 映画監督の押井守さんのスカイクロラはどう考えても名作なのだけど、やはり結局は違った面があると、ベルセルクが教えてくれたかも知れない。 バガボンド こちらはちょっと、また別の次元の作品。 ドロヘドロ シュルレアリスム文学的な世界を漫画に落とし込んだ、というアイデアからしてやっぱり良い ブルーピリオド 考え方や話す内容で大体その人の芸術家としてのレベルはわかる、という仮説を前提とすると、山口つばささ
Sumio Kobayashi
2月20日読了時間: 1分
名作に感じるアニメ
なんか名作に感じていて、まわりの人々におすすめしたい気がするアニメたち テクノライズ 天国や地獄の新しい描写。良すぎてこれを土台としたオペラ書きたいと思ったくらい。 アキラ 兄が、私が小さい頃に見せてくれた。これと逆襲のシャアを見せてくれたりしたことは創作に今でも役立ってると思ってる。 カウボーイビバップ ここに挙げるのも恥ずかしいくらいに名作。 Ergo Proxy 思想系の話を現代と仮想世界に落とし込んだ一番の成功例。 ヴィンランド・サガ 日本より海外での評価が高いかも。本当に名作。 攻殻機動隊 S. A. C. 1st 2nd そらまあ名作。 火垂るの墓 見てほしいかと言われたら悩むけど、黒澤明が一番評価したアニメ、というのも納得。 HELLSING (OVA) なんかすごい。 風が強く吹いている ものづくりのために走ることが必須、と思っていたくらい走っていたので。作品としても本当に良い。心身の調子のためにも運動や筋トレは、作り手にはお勧め。悲しいかな、社会に出てからはトレーニングすると体調崩すようになったので散歩くらいしかできていないけど
Sumio Kobayashi
2025年12月27日読了時間: 3分
なんか好きな文学作品
こちらも、なんとなく作り手の人たちにお勧めかなあ、と思える好きな文学作品を挙げておくことで、むしろ何も人に教えなくて済むんじゃないかというリスト。 虐げられた人々 ドストエフスキーの作品で、あまり有名どころではないかも知れないけど、一番終わり方が好き。一橋時代の先生の一人が白痴をたいそう好んでいたけど、それもよくわかるし、そちらも良い作品だと思う。 狭き門 ジッドの作品ではこれ。一般的な解釈としては、一方向すぎる思考に対する教訓ともいえるかも知れないが、逆にあれだけ徹底出来ることに尊敬の念を抱く。 悪魔 トルストイの考え方は、おそらく私の父が最も影響を受けていて清貧に対する意識がある。金銭や物欲だけではなく、悪魔やクロイツェルソナタは別の欲求に対する清貧さを説いている。そういう意味で、この悪魔が一番かも知れない。これだけ資本主義丸出しの社会で生きていて、清貧ともはや言ってはいられないというのが、世論の中心だろうし、今どのようにトルストイの思考が受け入れられるのか寧ろ興味深い。父と私で、違う作品の違う観点の考えを受け入れたというのも自己分析的な意味
Sumio Kobayashi
2025年12月26日読了時間: 6分
なんか良い映画のリスト
ものを作る人になんか良いのでは、という映画のリストを書いてみます。もしかしたら、誰かに何かを教えたい、というのなら、こういうリストを教えておいたらそれで良いのではとすら思います。 良い映画見るたびに随時更新。思い出した順番なので、順番は適当です。 ゴッドファーザー 男女で意見が別れる映画の一つでしょう。男女平等、ジェンダーレス、色々ある現在ですが、性別は違うのですし、違いはあるわけでそういったことをきちんと考えることも出来ますし、そういう穿った見方をしなくても傑作。 素晴らしき哉、人生! 教訓めいたものは今の時代作るのが難しいですが、こういうので良いんだよ、と言ってくれてるような名作。 遠い空の向こうに これも性別や年代で感じ方が違う作品。名作。尖っているとか斬新、という面は少ないかも知れないものの、必ずしもそう言ったものが必要ではないという良い例。 マイ・フレンド・フォーエバー 泣ける。 ライムライト 教養としての古典。音楽でもなんでも、知識人なら知ってる、みたいな作品は大体結局ためになる。 ベン・ハー こちらも教養としてどうぞ。 ペーパー・ム
Sumio Kobayashi
2025年12月24日読了時間: 9分
このブログについて
何かを発信する気があまりなかったのですが、小林純生の考えを知りたかった、と思う人が、これだけ色々な人たちに普段から触れていると、いるかも知れず、そしてそう思ってくれた人に応えたいということで始めました。一人一人の人にきちんと時間が取れていないかもしれないので。あとはやはり子供のため。 何かを教える立場になるとどうしても説教くさくなったり、頭ごなしな考え方になり、そしてそれは研究者にとっても芸術家にとっても、最も避けるべき状況なので、そうならないように気をつけながら書いてみます。 真面目にやると絶対に続かないのでかなり適当にやってます。真面目な話は、自作の解説のところで。 ついでに言いますと、サント=ブーヴ的なアプローチでは、どう考えても自分の作品を分析出来ず、そのことの判断材料にこのブログがなれば良いなと思ったり。自分が好きな作品と、自分が作る作品が異なることはよくあるわけで、自分と真逆の憧れを投影するから、作品が作家の生涯とはかけ離れるわけで。バルトが一時期流行ったのはよく理解できるというか、バルトの批評批判はやっぱり正しい、というのをブログで
Sumio Kobayashi
2025年12月24日読了時間: 1分
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