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自作解説「雪のなかのヒバリ」

  • Sumio Kobayashi
  • 5月9日
  • 読了時間: 4分

更新日:5月13日


これまでの作品で「ミュージックコンクレート」を器楽作品にする、という試みを行っていて、その失敗を経て考えた語法に基づいているのがこの作品になります。


当時ちょうど30歳。自分の作風が出来上がってくる、個性が生まれてくるのは30歳くらい、と言われることが不思議と多いですが、まさにその通りということになります。


言語学を学びながらその知識や経験を芸術に活かすことで、他の誰かに作ることが出来ない作品を作ろうと色々考えていました。


言語学の前はフランス文学を専門にしていて、特にマラルメやフランス詩を勉強していたのと、自分でも詩を書いていたことから、「言葉としての詩を音楽で表現する」という作風に徐々に向かっていきました。


ただ、言葉と音楽は似ている面もあれば、全く異なる面もあり、例えばクロード・レヴィ=ストロースは音楽を「翻訳不可能でありつつも理解可能である」と記述していて、いかに音楽が言葉と異なり、特異であるかよくわかります。


哲学や言語学、もしくは何か学術的な用語や理論を芸術作品に応用することはよくありますし、そういった応用によってある程度は作品の価値が保証されるかも知れません。ただし、それなりのリスクもあり、言語学はわりと応用されやすいのでよくわかりますが、そこまでお勧めするわけでもありません。例えばモーラの概念を応用して作品を作るとして、その際にモーラの概念を誤認してしまったり、もしくはその概念そのものに間違いがある場合もあります。概念の間違いは例えば、isochrony と呼ばれる等時性です。この考えでは英語の強勢アクセント間の時間的な距離はほぼ一定、つまりリズムが一定であるということになっていて、日本語もひらがな一文字あたり一拍でその拍、モーラがほぼ一定に刻まれていくということになっています。ただ、多くの研究がこれを否定しており、実際に現象としての音がそうでは無いだけではなく、知覚上もそのようにはなってはいないということで、もはやなんの確証性も無い状況です(Arvanitiの論文にまとめられてます)。


こういった、後年間違っていたと証明されるような学術的理論を芸術作品に応用すると、作品の価値や骨格そのものにも影響し得るので、気軽にはお勧めできないと常々思っています。


これら全てを踏まえて、それでは「言葉としての詩を音楽で表現する」というのをどう実現するのか考えました。そこで参考にしたのはギリシャ哲学とソシュールで、歴史の流れに残り続けた以上、正当性が担保されているからです。単語を単純に二つに分けて、音声面と意味という二面に解釈にして、詩がその意味を肥大させる一方で、音楽で詩を表現する際は、使用する音数を膨大にして、その音声面を肥大させることにしました。


これだけだと音が多すぎて訳がわからないことになるので「言葉」としての要素として、文法ともいえる和声の要素も作品に取り入れています。言葉の単語を音楽で表現するわけではないので、そういった意味でも文法が重要になります。ただ、そのまま和声の要素を入れても仕方ないので、つまり明示的になってしまうのを避けるために、あくまでも和声の要素を使っています。マラルメの詩は例えば、品詞の位置が一般的な話し言葉とは大きく異なっていますが、そういった手法を用いています。


それでも音が多すぎて訳がわからないという問題は解決出来ないだろうと予想して、倍音成分が少ない特殊奏法を多く取り入れて、それぞれの音がなるべく互いに邪魔をしないようにしました。結果的にハーモニクスが増え、音響の統一感も生まれ、今後この作風がほぼ同様の形で数作品で使われていきます。


ということで、作品のプログラムノートを書いておきます

↓↓↓↓↓↓↓


 ヒバリ(Lark)は冬になるとほとんど鳴くことがなく、その鳴き声を耳にすることは稀である。雪は空気の振動をかき消すので、雪があるとその声はほとんど聞こえない。儚げで暗示的な曲にしたいという考えがこの曲を書き始める時にあったので、稀に鳴いても雪のために消散する歌という含意をこめてこのような題にした。

 様々な特殊奏法や、かすかにしか聞こえない音響によって曲の輪郭はぼかされ、あいまいになる。その結果捕らえどころの無い曲になりうるため、聴衆がその構造を感じられるように基本的な構造や素材自体は明白に書かれている。

 ある意味ではこの曲はヨーロッパにある古い書法の再誕でもあり、主題となる旋律がモノフォニックもしくはポリフォニックに現れ、時には伴奏ともいえる動きを伴う。

 こういった旧式の作風でもありながら、先述の特殊奏法やぼかすための工夫によって譜面、そして音楽自体も骨格を露骨には見せない。明瞭さと不明瞭さとの矛盾のなかでこの曲における一つの目標は、音楽が「理解」できるものだと仮定して、聴衆が明確に理解出来ずとも断片は確実に捕らえる作品を書くことである。

 
 

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